こんばんは
さて今回は
土葬について
書いてみたいと思います
皆さんが持つ土葬のイメージってどんなものでしょうか?若い方なら「なんか怖そう」とか「人魂が飛んでそう」とかかもしれませんし、篠山のご年配の方なら「あれはたいへんやった~」とか「穴掘りがきついねん」なんて感じでしょうか?
ここ篠山でも10年ほど前までは土葬がまだ残っていました。火葬場が16年前に新設移転されてからどんどん無くなっていき、10年ほど前に完全になくなりました。私の知る限りではこの十年全くないはずです。でも今でもお年寄りの中には土葬を希望する方は意外に多くおられます「あんな熱いん嫌や」なんておっしゃる方もいますしね。
ではなぜ昔は土葬が多かったのでしょうか?
宗教的なことで言いますと神道、キリスト教、イスラム教は土葬で仏教は火葬です。神道の場合も聖武天皇以後は火葬されていますので絶対的なものではないのですが明治に入って神道側の要望から火葬禁止令が出されたということがあるのは事実ですし、基本は土葬という考えなのかな?とは思います。キリスト教やイスラム教は死後の復活を信じていますので遺体を残す意味で土葬をすることになります。とくにイスラム教では火葬は絶対禁止になります。仏教ではお釈迦様が火葬されているので基本的に火葬となります。
ではなぜ一昔前までの日本では土葬が多かったのでしょうか?まず聖武天皇の前までは天皇も土葬でしたので庶民ももちろん土葬だったはずなのでその風習がそのまま続いたのと。地方では火葬の設備が地方では整っているところが少なかったというのが大きな理由だと思われます。ですから近年でも地方都市では土葬が盛んに行われました。
今でも火葬した場合であってもお骨を埋める場所と墓石が立っているところが別の場所にある地域があります。お骨を埋めているのが昔土葬をしていた場所になります。当然そこに墓石を立ててしまうとその後に埋めることができなくなるので普段手を合わせるお墓は別のところに建てるということになるのでこのような形になるんです。埋めるところを「みばか」墓石のところを「きよばか」なんて言い方をするところもあります。
さてこの土葬ですがいざやるとなるとかなり大がかりなことになります。それこそ村の皆さんが総出で葬列を組むための道具を作る材料を山に取りに行く、それで道具を作る、お棺を埋めるための穴を掘る、女性はみんなの食事の炊き出しをする。ほんと大仕事です。このためにお葬式は大変というイメージをもたれてる年配の方も多いと思います。今は火葬になったのでそれほどではないんですけど。
私は実際の土葬を葬儀社としてぎりぎりお手伝いさせてもらったことがある世代なのですが逆にこのころは私の仕事はあまりなく、棺などの道具の用意や祭壇の準備ぐらいしかすることがなかったですね。祭壇を村で持っている場合などそれすらする必要がなくなるわけですから。道具を持って行って後は村の方任せ、何か手伝うことがあれば手伝う程度でした。
このころのお葬式はおおらかなものでしたので私もよくお葬儀前のお食事の時にお酒を勧められたりしたものです。これがまた断っても断っても勧められるんです。飲んだかどうかはご想像にお任せします
そしてこの食事がとてもおいしかったのもよく覚えています。当然精進料理になるので肉や魚は無しで村によって献立も違ったり味付けにも微妙に違いがあります。でもどれもとてもおいしい物でした。
そして土葬で何が一番大変かというとそれは「穴掘り」です。これに関してご年配の方なら皆さんよくわかることかと思います。他の方が埋められているところでもあるので重機は使えませんし、手で掘ることになります。順番にずらして掘っていくのですがそれでも以前に埋められた方が出てこられたりする様なこともあったり、いきなり大きな穴に出くわして足元が落ちてしまったり、それこそ大きな石でもあったらそれをどけるのも一苦労でした。穴自体も約二メートルぐらいの深さまで掘ることになりますからそれだけでも大変です。
こんな大変なことをしなければならない「穴掘りさん」はとても大事に扱われました。お葬儀のお手伝いの中でお風呂に入るのはこの方々が一番先ですし食事の時もお寺さんの次の上座に座り皆さんから接待されたものです。
このようにいろいろと大変なことが多かった土葬ですが村の皆さんが故人のためにと総出で手伝う光景自体はとても良いものでしたね。とはいえ現在これをやるといってもとてもじゃないですができるようなことではありません。ですからさすがにもうすることはないだろうとは思います。
とはいえ葬儀社として知識とノウハウだけは持っておかなければいけないと思うので忘れないようにしとかないといけませんね。
長くなってしまいますので、次回に土葬の実際の流れについて書いてみたいと思いますのでよろしくお願いします。