みなさんこんばんは
今日は少し前から感じている違和感について書いてみたいと思います。
といっても実際を確かめているわけではないので間違った内容になるかもしれませんがご容赦ください。
以前から流れてるテレビCMで外国の方が日本の葬儀に対して疑問を抱いているという内容なんですが、そのCMでは日本のお葬式では一番悲しいはずの喪主が一番忙しいのはどうなんだろう?といった疑問を持たれるという内容です。
そのCMで喪主の方が会葬に来られた方に応対してお礼を言っている姿がながれているのですが、これって日本だけのものなんでしょうか?
この外国の方がどこの方かはわかりませんがおそらく欧米圏の方だと見た目で判断したうえで言いますと欧米では親しい方がなくなられてそのお葬式に行ったときに喪主の方に声をかけたりしないものなのでしょうか?
映画なんかで友人のお葬式に行った主人公が奥さまやお母様と話したり励ましたりするシーンは何度も見たことはありますし、他の色々な方にもその都度応対されているシーンもよくあるとは思うのですが、あれは演出上のものであって本来は誰も近寄らず、声もかけずにそっとしておくのが一般的なのでしょうか?
確かにお葬式の前に喪主様というのは結構忙しくなることはよくあります。いろいろな方が来られてお悔やみを言われたりするのでその都度お礼を言い応対するといったことでバタバタしておられる姿はよく見ます。
このこと自体を無駄だとか、しんどいだけという意見の方はおられるでしょうし、故人とのお別れをゆっくりできないとお葬儀の批判の中でよく取り上げられることだというのも理解はしています。
精神的に落ち込んでいるところにたくさんの人の相手をするのは確かにしんどいことだと思います。
ですから喪主様の状態を見て応対が無理と判断した時には家族やご兄弟、伯父様や伯母様などに応対をお願いして休んでいただくといった工夫をすることもよくあります。
それでも私は誰かが来てくれて言葉をかけてくれたり話を聞いてくれることが少なからずご家族の救いになっているケースはたくさんあると思っています。
実際にそういったケースも見ていますし親しい友達だからこそできる励ましなんかもあると思います。
家族以外の誰ともかかわらずにという希望自体を否定しませんしそういった形のほうがいい方がおられることも事実だと思います。
だからと言って家族以外が来るお葬式はしんどくて無駄だと決めてしまうのもおかしなことだと思います。
私が違和感を覚える会話で親御さんが近所の方やお友達にもお別れしてほしいという意向を持っているときに家族の方の中に、「今は呼ばへんのが当たり前やから人を呼ぶこと自体がおかしい」という論調で反対している人がおられるのですが、そういう話を聞くたびにいつの間にかお葬式に人を呼ぶのはおかしなことといった認識を持っている人がある一定数おられるという事実を思い知らされます。
コロナの時期では確かに人を多く呼ぶのは問題あるというのはわかりますがこういった考え方はコロナ以前から出てきています。
メディアなどで人多く呼ぶお葬式は無駄だといったことがずっと流されてきた結果なのかもしれません。
親しい人が亡くなったから弔いたい、お別れしたいといった感情を表すのは人として自然な感情だと思いますしそれを受け入れたいと思う遺族の方の思いもあって当然だとは思います。
もちろん家族だけで会葬に来てもらうのを断って行うことを希望するのも自由ですしちゃんと考えてご当家が決めているのであればもちろんサポートさせていただきます、とはいえ世の中がそういった雰囲気だからそうするっていうことだけはどうしても納得できないんですよねえ。
さいしょにあげたCMをみていると無理やりそういう雰囲気を作っているような気がして違和感を覚えてしまします。
もう一度言いますが
外国では残された家族が来てくれた皆さんにお礼を言ったりして忙しく対応することはないんやろか?
誰か事実を知ってる方教えてください。ねんのため、コロナなのに人を呼べって話ではないですのでよろしくお願いします。